YAKUGAKU ZASSHI 135(1) 1―2 (2015) 2015 The Pharmaceutical Society of Japan
1
―Foreword―
薬学が拓くエピジェネティクス研究の最前線 梅 原 崇 史, ,a,d 堀
雄一郎b,c,d
New Frontiers of Epigenetics Researches in Pharmaceutical Sciences ,a,d and Yuichiro Horib,c,d Takashi Umehara aRIKEN
Center for Life Science Technologies (CLST); 1722 Suehiro-cho, Tsurumi-ku, Yokohama 2300045, Japan: School of Engineering, Osaka University; 21 Yamadaoka, Suita, Osaka 5650871, Japan: cImmunology Frontier Research Center, Osaka University; 3 1 Yamadaoka, Suita, Osaka 5650871, Japan: and dPRESTO, Japan Science and Technology Agency (JST); 4 18 Honcho, Kawaguchi, Saitama 3320012, Japan. bGraduate
エピジェネティクス(後成遺伝学)は,ゲノム
皮膚 T 細胞リンパ腫・末梢 T 細胞リンパ腫のがん
DNA の塩基配列によらずに遺伝情報発現等を制御
治療における U.S. Food and Drug Administration
する仕組みを対象とした研究分野である.エピジェ
(FDA)承認薬として使用されている.また上記 2
ネティクスはヒトを始めとする真核生物の発生・分
種類の酵素以外にも,ヒストンメチル基転移酵素や
化・老化などの多岐にわたる生命現象の制御に係
ヒストン脱メチル化酵素,アセチル化ヒストン認識
わっているだけでなく,がんや生活習慣病などの疾
因子等のエピジェネティクス制御分子に対する低分
病にエピジェネティクスの異常が伴うことが示され
子阻害剤は現在,難治性がんや動脈硬化の治療に向
つつあり,新たな創薬標的分野として注目が集まっ
けた治験が進められている.さらに,エピジェネ
ている.このエピジェネティクスの実体は,私たち
ティクス制御分子は iPS 細胞やクローン動物の作
の細胞核内におけるゲノム DNA の化学修飾(シト
製効率の促進にも寄与することから,再生医療や畜
シン塩基の 5 位メチル化等)や,そのゲノム DNA
産における有用性も期待されている.
と複合体を形成するヒストンタンパク質に対する翻
このようにエピジェネティクスを制御する低分子
訳後修飾(リジン残基側鎖アミンのアセチル化やメ
の開発は現在,創薬や再生医療等における最重要の
チル化等)であることが示唆されていたが,特に
研究課題の 1 つとして位置づけられ,世界各国の製
1990 年代半ばに端を発するヒストン修飾酵素・脱
薬会社でしのぎを削る状況にある.わが国の製薬会
修飾酵素の同定以降,爆発的に研究が進んでいる.
社やアカデミアからも先駆的なエピジェネティクス
エピジェネティクスは,難治性がんや生活習慣病を
制御分子が報告されているが,エピジェネティクス
始めとする多種類の疾病との関連性や,エピジェネ
のケミカルバイオロジーと医薬品開発では国際的な
ティクス情報の変換・認識を分子標的とした制御の
オープンイノベーション戦略による大規模な組織研
実現性の高さから,現在,最も重要な創薬標的の 1
究が激化している.その中でも特に,トロント大学
つと位置づけられている.実際に 2004 年以降,
とオックスフォード大学を中心とした Structural
DNA メチル基転移酵素とヒストン脱アセチル化酵
Genomics Consortium ( SGC )はメガファーマ 9 社
素を標的とした低分子阻害剤が骨髄異形成症候群と
との連携を通して低分子阻害剤を開発・情報開示・ 提供するオープンイノベーション戦略により,産学
a理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター
(〒 2300045 横浜市鶴見区末広町 1722),b大阪大学 大学院工学研究科(〒5650871 大阪府吹田市山田丘 2 1),c大阪大学免疫学フロンティア研究センター(〒565 0871 大阪府吹田市山田丘 3 1 ),d 科学技術振興機構 (JST)さきがけ(〒3320012 埼玉県川口市本町 418) e-mail: takashi.umehara@riken.jp 日本薬学会第 134 年会シンポジウム S40 序文
連携による協調的かつ競争的な創薬研究を推進して いる.また,Epizyme, Tensha Therapeutics, Oryzon Genomics など,エピジェネティクス阻害剤開発を
基盤とする海外ベンチャーの活動も活発であり,こ の潮流は今後さらに加速していくことが予想され る.そのため,わが国がエピジェネティクス創薬分
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YAKUGAKU ZASSHI
Vol. 135 No. 1 (2015)
野において国際競争力を維持していくためには,産
には発生学上の概念として提唱された経緯から現在
官学が一体となった実質的な交流が不可欠と考えら
でも多義に用いられている.分子機構の観点でも,
れる.
広義 に はエ ピ ジェ ネテ ィ クス 情報 を 含む ゲノ ム
本シンポジウムはこのような状況を鑑み, 2013
DNA に結合する核酸分子や非ヒストンタンパク質
年の第 133 年会(横浜)で企画された一般シンポジ
の翻訳後修飾を含む場合がある.本シンポジウムで
ウム「創薬を指向したエピジェネティクス研究の最
は,狭義のエピジェネティクスとして,「 DNA の
前線」(オーガナイザー:平野智也・梅原崇史)の
塩基配列の変化を伴わずに,染色体の主要構成成分
後継シンポジウムとして,エピジェネティクス制御
のゲノム DNA とヒストンタンパク質に対して脱着
機構の解明を目指した産学の最新の研究と医薬品開
され,細胞分裂を越えて伝播され得る化学修飾」に
発への貢献を指向した新規技術開発を紹介・議論す
焦点を絞った.本誌上シンポジウムではこれらのエ
ることをめざして開催された.エピジェネティクス
ピジェネティクス情報の制御(付加・認識・除去)
の制 御 研究 は, 私 たち のゲ ノ ムを 構成 し てい る
に係わるタンパク質の構造解析 (有吉眞理子の稿) ,
DNA の塩基やタンパク質のアミノ酸側鎖に対する
機能解析(常岡
微小な化学修飾の階層から,生物個体の世代を越え
雄一郎の稿)について報告する.なお年会シンポジ
て継承され得る生命現象まで,幅広い階層の研究を
ウムでは東京大学大学院理学系研究科の菅
つなぐことが不可欠である.また解析手法として
授と第一三共株式会社の來生(道下)江利子博士に
も,化学,生化学,生物学(分子生物学・構造生物
もご講演頂いたことを付記する.
誠の稿),及び検出技術開発(堀 裕明教
学・細胞生物学など)とそれらの境界領域を含めて
最後に,本誌上シンポジウムの開催と執筆に際
極めて多岐にわたることから,薬学を始めとして理
し,貴重な発表の機会を与えて頂きました日本薬学
学・工学・農学・医学等の幅広い分野間での連携・
会第 134 年会組織委員長の大塚雅巳教授 (熊本大学)
融合研究が今後も重要と考えられる.
並びに年会組織委員会関係者各位,及び本誌上シン
なお本稿で記載した「エピジェネティクス」とい う用語については研究者間でも定義が異なり,初期
ポジウムの執筆をご快諾頂きました各先生にこの場 をお借りして厚く御礼申し上げます.